2009 久高島へ

イラブー

八月の終わり、夏を取り戻すべく訪れた沖縄。
空港から久高島へ僕たちは脇目も振らずに向った。そこで僕が触知したことを忘れない
うちに。
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〈小蛇〉
 二日目に訪れたカベール岬。
 岬と言っても、海から眺めるこの島は大きな蛇が横たわったような島で、崖の上に灯
台があるようなところではない。岩場の間にひと家族が遊ぶのにちょうどいい、白い砂
浜が連なって行く。ただ眩しさに目を細め、家族で久しぶりの砂浜を喜んだ。波打ち際
をさくさくと歩くだけ。せいぜい水切りをするくらいなのだが、静かに海のその先をみ
やっている、そうしているだけで懐かしい時を過ごしているつもりになる。
 ふとそこに波に乗って小さな黒いひものようなものが寄せて来た。
 「イラブーだ!!」子どもと叫ぶ。
 突然やって来た神様(沖縄に限らず「小蛇」は神様だといわれている!)に興奮する。
彼は波に翻弄されているようにも見える。小さな入江だから波があっちからもこっちか
らも跳ね返って来る。青と黒の縞模様の、美しく幼い蛇は、輪になったりもつれたり。
引いては寄せてくるので、彼が猛毒を持っているという刷り込みがある僕たちはびびり、
後ずさりする。しかし、やがて潮の道を見つけたように波に乗り、透き通った波の網へ
とけ込んで行った。
 イラブーの尾は、つつましいオールだ。理科の実験で使ったことのある薬さじの小さ
い方にも似ている。頭は小さくて、猛毒があるようにはとてもとても見えません。後で
聞くと口が小さいので噛まれることは殆どないそうで、しかも性格が大人しいとか。
 それにしても太陽と波に輝くその姿、イラブーの小蛇は少年や少女と同じように、触
れてはいけない美しさがあった。
(*カベール岬は琉球開闢の国生みの神『アマミキヨ』がこの岬に上陸し、一時住んだ
ともいわれている。また、竜宮神が鎮まるところともいわれている。)

irabu.JPG

 
〈蛇と月のこと〉
 そもそも蛇は脱皮をする。これは蛇に限らないのだが、脱皮する生き物、例えば蟹な
ども、月が欠けては満ちるのと同定され、同じように再生の力を持っているとされてい
る。冬に枯れて春に芽吹く植物もその再生能力が月と同じとされ、月の女神は多くのく
にで穀物の神であり、またそれを育む大地の神(地母神)とされている。冬眠して春ま
た出て来る動物、たとえば蛙(ひきがえる)や熊なども。
 月と蛇の神話では、こんな話しがある。今では月の影を「兎が餅つきをしている」と
いう地方が多いが、琉球では「天秤をかついだ男」だということになっていたようだ。
どうして彼はそこにいるのか、というお話し。  
 ネフスキー氏がかつて宮古島での伝承を採取したものからの引用。
 《昔むかし大昔、この大宮古、美しい宮古に始めて人間が住むようになったとき、月
と太陽とが人間に長命の薬を与えようと思って、節祭(シツ)の新夜(アラユー)にア
カリヤザガマ(首里や那覇でアカナーと呼ぶ赤い顔と髪とをもった童子、ザガマはオト
ッツアンというほどの意)を使いにやった。アカリヤザガマは、一つには変若水(シヂ
ミズ)、いまいとつには死水(シニミズ)を入れた二つの桶を担いで下界に降ったが、
その時月と太陽の言いつけは、「人間には変若水を浴びせて行き替わることと長命をも
たせよ、蛇には死水を浴せよ」ということであった。けれどもアカリヤザガマは長い旅
の疲れに路ばたに桶をおろして小便をしていたところ、一匹の大蛇があらわれて変若水
を浴びてしまった。そこでアカリヤザガマは泣く泣く死水の方を人間に浴せて天にのぼ
り、委細を報告すると、お天道様は大変な立腹で、「お前の人間に対する罪は、いくら
償っても償いきれない。人間のある限り、宮古の青あおとしている限り、その桶をかつ
いで永久に立っておれ」と、体刑を加えた。それがためアカリヤザガマは、今でもお月
様の中に桶をかついで立ちはだかっているのである。》
 
 変若水(シヂミズ)とは「スデ水」つまり「巣出水」。脱皮して再生を繰り返すこと、
春になると巣から出て生まれ変わることを意味する。シニミズはまさに「死に水」。それ
を浴びた人は死から逃れられない。先ほども書いたが、月は新月から満月を経て晦日(み
そか)であるつごもり(月籠り)へ至り、朔日(月立ち、ついたち)でまた再生する。
その繰り返し。これが月と蛇が密接である理由となる。
 これは同時に植物と月が同定されている理由でもあって、東西で月の女神は穀物神で
もあるか、もしくは穀物神を生んでいることも多く、また、大地の女神でもある。大地
母神ですね。

〈月夜の漁〉 
 カベール岬で子どもイラブーに出会った明くる夜、少し前に解禁となったイラブー漁

へ連れて行ってもらった。夏の終わりから秋の間、引き潮の時間になると彼らは岩場へ
産卵に訪れる。島の人は代々その場所を守ってきた。漁が出来る男も限られ、つかまえ
る蛇の大きさもほぼ決められている。一体どこなのだろう?秘密の産卵場所。しかし、
その場所は呆気ないほど何の変哲もない、夕焼けを見に来たビーチの一隅。うーん、秘
密の場所ってこういうものかもしれない。
 イラブーは神様であり、この島の「イラブーの燻製」は、大事な島の収入源でもある。
絶やさないように厳格に魂(マブイー)に誓って、漁をしてきたのだと思う。島の薫製
づくりの技術は、古い時代より土佐や遠くはモルディブ辺りまで伝えられ、今の鰹節づ
くりの元となったという報告だってあるくらい。内臓も一緒に燻製にするのは温度の調
整がとても難しのだそうだ。
 この日の月は上弦の翌日。海を照らす月明かりが明るく、次々とイラブーは岩場を上
がってきた。でも漁師がつかまえるのは本当に立派な1メートル以上ある蛇たち。岩場
の上で待ち伏せする漁師は時折赤外線のライトを当て、見つけるや否やザッと降りたか
と思うと、いとも簡単に頭を抑えもう一方の手で尻尾の方をぐっともち、大股で登って
来る。集中力が一瞬ピンと張るのが見えるようだ。
 どさっと放られた袋の中を見せてもらうと、昼間の小蛇とは全く別の生き物。月明か
りに10匹ほどがうごめく様子は畏れと同時に尊厳を抱かせる。
 
 神社の注連縄も、綱引きの綱も、実は蛇の再生力に肖ったものであり、だからこそ2
本を縒り合わせるのだという。また来年も豊かな稔り(捻り?)を、ということなので
しょう。産卵する場所と交尾する場所は近いらしく、交尾を終えたらしい若い牡と雌の
蛇が岩場を下って行ったのを、ちらっと猟師は一瞥しただけで見送っていた。その時、
そんな話しもしてくれたのだ。

 借りた自転車で宿へと戻る時、見上げると天の川が島の夜空を覆っていた。この大き
な透明な蛇の胴体とさっきのうごめきくねる蛇を重ねて、なにやら複雑な感情にしばし
呆然としてしまっていた。どちらにも僕は間に合わないというような、でも当然それで
いいのだというような。




未来へ受け継げる「型」の切り出し方、切り取り方、その萌芽を記して行きます。かたちを成していないけど、大事にして行きたいと願うことなど。