緑陰幻想アンソロジー

緑蔭幻想詞華集(アンソロジー)

第一回「つつじ」
*出演/東 雅夫(文芸評論家・アンソロジスト)
    塚田有一(ガ–デンデザイナ–)
*とき/二〇一四年五月一五日(木)
    一九時から二一時頃迄

 まさにその花の旬のときに、物語の花と合わせる企画なので、例えば今の時期「躑躅(つつじ)」は界隈に溢れている。躑躅が咲く時期に、身体感覚でその季節も感じられる。つつじは公害にも強いし、管理も比較的楽ということで重宝されて、街のあちこちに植えられていて見慣れ過ぎているくらいだ。僕などはそれに反発を覚えてしまい、なるべく避けて庭をつくって来たほど。
 しかし、魅力があるからこそ、歌に詠まれ、文学となり、改良も重ねられ、広まった。僕の原風景のひとつに故郷の山でみた山躑躅の群落がある。
 躑躅に限ったことではなく、今も暮らしの身近にある、いわゆる被子植物は1億年程前に地球上に出現し、爆発的に広がり、共進化による多様で気の遠くなるほどの進化の歴史を持っている。

 花とはなんだろう?
 もういちど旬のこの時期に、その花のビジュアル、構造、香り、手触り、味などなど直接的な触感を確かめる。頭より、身体の方が知っていることが多いと僕は思っている。そして、肌で感じるイメージの飛翔力を、東雅夫さんが選ぶ幻想文学や、怪談ものなどからも汲み取りたい。花を読む、詠む、讀むことと、今ここの身体感覚。その結び目は新しい想像力のための鍵になるはずだ。

 被子植物双子葉合弁花。そこから話しを始めてみた。
 それから花を手にしての観察。
 「つつじ」「躑躅」名前のはなし。方言も豊かでおもしろい。
 どんなかたちが、色が香りが、そしていつ咲くのか、どんなところに咲くのか、どんな時に使われるのか、その像が少しずつ先入観を壊し、新たに組み立てられ、多層になっていく楽しみがある。
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 東さんが選んだ「躑躅」の印象的な物語のひとつは泉鏡花の『竜潭譚(りゅうたんだん)』。後の『高野聖』のもとになったと言われる作品。もうひとつはかつての東京新聞である「都新聞」で花柳演芸記者を勤めた平山蘆江の『火焔つつじ』。和田誠さんが映像化(『怖がる人々』)もしている。

 初回を「躑躅」でいかがでしょうと持ちかけた時、東さんは吃驚されていた。 
 東さんにとっては、「躑躅」といえば泉鏡花の『竜潭譚』!なのだそうだ。中学時代この物語に出会ったことで怪奇幻想文学にのめり込んでいったそうなのである。文語調で書かれているので決して讀みやすいものでは無かったが、子どもとしては清水の舞台から飛び降りるような思いで手にした物語だったので、必死に読んで、そして何回もくり返して読んだそうである。
 もうひとつは、後ほど朗読もしてくださった『火焔つつじ』。東さんに教えてもらい、初めて知った人であった。花柳演芸の記者だけあって、妖しくも、それでいていなせな文章を書く。怪談ものにありがちのどろどろがさらっと描かれていて、諧謔とかユーモアすら感じられ、後味がすっきりしているのだ。

 「躑躅」についてのレクチャーのあとは、東雅夫さんから今回選ばれた物語の講義。鏡花の育った金沢のこと、鏡花の母に対する想い、毒虫の虹色のきらめきと躑躅の焰(ほむら)。空や草いきれと暗闇。異界への入り口としての花。同時代人である蘆江と鏡花の関係、花柳界と異界性などなど。この二人の、失われつつある時への郷愁と、浪漫派的な心情が滲み出ていると感じる。

  * * *

 休憩のあと東さんの『火焔つつじ』の朗読の中、僕は花を活けた。

 銅の水盤に、木化石を抑えにして紫がかった淡いピンクの「八汐躑躅」を立てた。木化石は骨に似ている。ピンクの花は黄昏れどきには青みを増すから好きだ。足下には「紅霧島躑躅」を活けていく。物語の躑躅も紅い情念のような花だっただろう。最後に「煙の木(スモークツリー)」を活けた。そう、火に煙はつきものだから。

 活けながら、台詞が時々入ってくる。
鋏を入れながら、放たれる言葉ごと活けるような感覚になる。花を集め、台詞も、イメージも集める。活け花はそもそもアンソロジーだが、季節も、物語も、人々の情感も、集めて編むことができるもの。そしてそれは自由であるべき。それぞれの。
 見てくださった皆さんの中で生きるのが「活け花」なのだと思う。あくまで「仮のもの」。わざわざ切り取って活けることは、目の前の花のその奥に、遠くにあるものを引き寄せるための技術である。花はいつでも境い目で咲いている。空言でもあるそれはだから「物語」に似ている。

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 おまけ/これは『火焔つつじ』を知っている人にしか分からないけれど。  
 朗読の終盤、子どもの泣き声が聞こえて来たのでびっくりしました。そう何人かの方が言っていた。僕は気がつかなかったし、東さんも聴こえなかったようだが録音を聞いてみるとはっきりと聴こえる。シャットアウトしていないオルタナティブな空間では、こういう驚くべき偶然が時々起こる。

 

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ワークショップは、植物に触れ、植物に人が託して来た物語を知り、身体知を取り戻すことと、風土を感じることを大事にしています。