追悼;谺雄二『死ぬふりだけでやめとけや』〜『顔の巡礼』〜

 七月六日、新暦の七夕の前の晩、東京・馬喰町ART+EATにて催された詩人谺雄二の追悼会「谺さん、死ぬふりだけでやめとけや」の「谺雄二に捧ぐ〜語り 『私は顔の巡礼』(原作;姜信子/演出;安田登)で花を立てさせていただいた。

 安田登さんから台本をいただき、リハーサルの音源を聴く。ただならぬ迫力は、語り藝がもつ言霊の力を感じさせる。

 花をどう合わせて行くのか。何度もくり返しイメージを描いては消し、スケッチを繰り返す。まだ舞台の何処で、どのタイミングで活けるかも決まっていないが、それを手探りして行く。象徴的な華が、ひっそりと活けられればいいと思っていた。


 能楽師ワキ方の安田登さんの声の波は、発せられると沢山の共鳴を生みながら、渦を起こし、霧のように這いもし、ときにひび割れ、響き合い、聴くものの身体を突き抜けて行く。
玉川奈々福さんの節まわしが艶っぽく、三味線の切ない激情がほとばしる。狂言師の奥津さんは鬼の面をつけ、鬼の悲哀と滑稽を舞い歌う。狂騒と沈黙、哄笑と落涙、怒りと悲しみ、炎と水、生と死、、、。悲しみを背負い、苦しみを噛み締め、歯ぎしりして来た生が、いつしか晴れて行く。憎しみと赦し。赦せた時に、命は再生し、涙に濡れる。その時、谺さんの耳には、遠くで雪崩の音が聴こえたと言う。(詩『夢の雪の中で』より)。石牟礼道子さんの『苦界浄土』という本を思い出しながら。花は、浄化し、再生を果たすもの、そのことを、そのまま表すことができたらと願う。
 
 僕は、谺雄二さんの詩に、熱い血潮と、血からうまれる乳と、母の羊水とを一緒に感じる。滔々と流れ、岸壁に砕け散る飛沫のような詩である。泡はふたたびまた大海原に帰り、潮となってまた寄せくる。鬼は、陰、隠、怨、遠、音、吽。乳と血はまさに力。羊水は海のしおみず。
 しかしあくまで花は、晴れやかな。「夢の雪の中で」。


 花は「蓮」と「刈萱(かるかや)」と真っ白な「あじさい」を選んだ。蓮は泥から目覚め、つぼみの中で夢が育まれ、ポンと言う音ともに開く。蓮の莟は両手を合わせ祈るかたちそのままに。花弁はふっくらと、開花した花は悟りの花。浄土の花である。十一面観音様は、この花の莟を手にして立っている。観音様はまだ悟りの境地には至っていないそうだ。だからまだ開かない蓮華を手に、境界で衆生を見守っている。
 刈萱は、お盆のときに供えられる。浪曲にも「刈萱道心」という曲がある。玉川奈々福さんは、僕が活けている時、この曲を弾いてくださった。この浪曲はどうにも救いのない、というか最後は登場する家族全員が虚しくなってしまう、やるせない物語である。刈萱は優しい草姿ではあるが、どこかわびしさを持つ植物である。象徴する意味はまだよくわかならないが、蒲の穂などとともにお盆のひととき流通するからお施餓鬼や、盆の行事に縁があるのだろう。両方とも池や湿地の植物で、水と関係が深い。
 あじさいは「よひら」という別名を持つ。額紫陽花の萼片が四枚であることからの通り名だろう。「よひら」は「よひ(宵)」や「夜」と掛けられ、幽冥に咲く花である。この紫陽花は白くふわりと大きい。白はやはり浄土をあらわす。そしてその大ぶりな装飾花は繭のようであり、母胎や籠りをあらわし、春の夢を育くむのだ。
 
 蓮が立って、刈萱を二つの方向に向けて挿した時、安田さんは一束は谺さんの母へ、もう一束は谺さん自身へ手向けたように見えたと公演後おっしゃっていた。花は捧げられるもの。向こうに向けて立てるもの。花は境を破る。花は境に咲く。花は、笑う。
 
 何度か安田さんの舞台にたたせていただき、ずっと舞台上での振る舞い方が気になっていた。しかし、皆さんの懐で守られて、後は花と想いが一体になればおそらくなにも問題はないと、思えるようになった。後は、日々、研くだけだ。
大きい経験だった。


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http://www.msz.co.jp/book/detail/07830.html




仕事として花を活ける時には、お客様の文脈を大事にし、花の旬を考え、色や質感、情景をいろいろイメージしてみます。でも、花は生ものですから、注文通りの仕入れがかなわない場合もありますし、現場でやってみて、イメージ通り行かない場合もあります。一本一本皆違うので、予定はあるようでないようなものです。
そうした時、限られた時間でどうするのか。その場に臨んで発揮できる力を持っていたいと思っています。場所と素材に出会い、相互共振し、想像をいつも超えていくことが、花生けの醍醐味であり奥が深いところです。
花は遥か昔から「こころの形代」です。型や方法や技術を用いて、物語を伝えてゆくのが仕事です。作庭のダイナミズムと、一輪の投入れのダイナミズムは通じています。