地(つち)の低きところを這う 虫に逢えるなり

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水俣病認定60年

「亀の手」と握手をしてきました。
とその水俣病の女性は最後に話して、ふっと笑った。
私は意地悪ですからですね、、、と言葉を添えながら。

熊本地震があって、娘が幼い孫を二人連れて水俣に帰っているので、数日すぐそばの海には行けなかったと、でも、東京に来る前に行ってきました。
いっぱいいろんなお魚や、海の生き物が、海にはいます。
(亀の手は岩場についている貝に似ているが甲殻類の仲間。
調べると食べることもできるらしい。スペインではペルセベスと呼ばれ、高級食材。)

海辺の、テトラポットだろうか、岩場だろうか、どこかにしゃがんで、
彼らの黒い触手に触って何を思うのだろう。おそらくプランクトンをその触手で濾して食べるのだろうが、見慣れないものにとってみれば、触るにはちょっと勇気がいる。

聞けば、父母祖父母、兄、いとこ、、、たくさんの身内を水俣病で亡くしている。
父は地元から窒素に就職し、「チッソ」で働き、何よりも魚が大好きで、仕事から帰ると自分で海に降り、たこや魚を捕ってきたという。家族の住まいは「チッソ」の排水が流れ込むところにあった。そう、有機水銀の含まれた排水である。

父はある日から手足が痺れると言いだした。
入院して一度よくなったが、退院してまた好きな魚を
食べて、死んでしまった。

身内が水俣病であると話すことは、タブーだった。周りもそんな空気だった。

そしてずっと蓋をしてきたが、あることがきっかけでその蓋が開き、涙が溢れ、父の葬儀の時の情景を思い出したという。
一番苦しかったのは物も言えず、訳も分からずに命をもぎ取られた父だろうと思い至り、
物言えなかったものたちの、代わりになろうと思いを定めた。

その人が晩春の海に出かけ、
亀の手と握手をする。
去来する思いは、もしかするとただ、美しい海が帰ってきたことへの、海が生きていることへの懐かしさだったかもしれない。

懐かしさを感じるこんな場所は、
僕たちのまわりに本当は溢れている。

それがいつの間にか汚染されたり、奪われたり、失われてしまったりすることがある。
原発もそう、公害もそう。線引きが、人々の協調を、容易く引き裂く。

山に暮らす人は山の、海に暮らす人は海の、
都市に暮らす人は都市の、自分のことだけではなく、隣人の
そばで同じように生きる小さな命の声を聞く、
よく、聞こう。
彼らの歌を。
声に耳をそばだてて。

その土地の「ネイティブ」になることから始めよう。