季譜 flower-notes 第3回「もみつ 」の花

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今日巡り会わせた植物、やってきてくれた植物、どこぞの生まれで何年も何十年も根を張り生きてきた。切り出された枝、そのこれまでの記憶、がここで一つになるのをためらっているかのように、ざわざわとしていた。活け手として彼らとの対話、はあまり生まれず、多分ここだろうと思うところに僕は花を挿す。淡々とその繰り返し。ピアノの音はあえてじっと聞かない。平本さんが合わせすぎず、離れすぎず、伴走したり、引っ張ったりしてくれる。ざわざわと胸騒ぎのまま花は活け終わる。赤はやはりとても強い。今回は二つを同時進行で活けてみた。その場で花材を振り分けて、あちらとこちらを行き来する。裏活けが終わってピアノはクライマックスへ。僕は正面に回ってお客さんの後ろから花を見る。みんなライトを浴びて、案外落ち着いてエネルギーを放っていたからホッとした。二つで一つというか一つだったものが二つなったその片割れずつ。お互いに片割れを想い、いざり寄る、イザナギとイザナミの花。植物は神々の記憶を宿している。

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仕事として花を活ける時には、お客様の文脈を大事にし、花の旬を考え、色や質感、情景をいろいろイメージしてみます。でも、花は生ものですから、注文通りの仕入れがかなわない場合もありますし、現場でやってみて、イメージ通り行かない場合もあります。一本一本皆違うので、予定はあるようでないようなものです。
そうした時、限られた時間でどうするのか。その場に臨んで発揮できる力を持っていたいと思っています。場所と素材に出会い、相互共振し、想像をいつも超えていくことが、花生けの醍醐味であり奥が深いところです。
花は遥か昔から「こころの形代」です。型や方法や技術を用いて、物語を伝えてゆくのが仕事です。作庭のダイナミズムと、一輪の投入れのダイナミズムは通じています。